音楽や踊りをやるのとは
またちょっと
違う気がするんですよね。
先生を軽んじてはいけないと
思うんです。
軽んじて良い類いの芸では
ないと思うんです。
ただ「フラメンコ」
って一言で言っても、
ただ一個が
ポンとあるわけではなくて、
色んな地域の
色んな流派みたいのが
アレンジされたり
ブレンドされたりしながら
色んな所で
伝承されてきたんだと
思うんですよね。
DNAと似てますよね。
祖先がこう言う人種と
結婚してそこから
こう言う子孫になって、、
色々混ざりながらも
切れずに線で残る何かが
あるじゃないですか。
芸もそれに似たようなものが
あるんじゃないですかね。
学ぶと言うのは
そう言う事も考えた方が良いと
思うんですよね。
ただ単にクラスで
習った振りとかじゃなくて、
よく見ればそれは
「血」みたいなものが
あると思うんですよね。
実際の血ではないし
薄まってるかも
知れないんだけど、
何かしら伝達される
流れみたいなものがある。
別に僕ら日本人なんだし
歴史も血もないんだけど、
それでもやり始めたら
先生に習うし、
その先生は
誰かからフラメンコの
洗礼を受けて
影響されてるはずで
僕より歴史もあるでしょ?
更にその先代には
もっと歴史があるし、
更にその先代には
もっと歴史がある。
自分の先生が
どう言う流れを汲む者なのか?
を考えながら学ぶのも
大事だと思います。
だから
自分の先生が
誰に習って
どこに留学して
どんな感じが好きで
どんな哲学があって、
どんな生き様で、とか
そう言う所まで学んで
やっと先生からの教えが
分かると思うんですね。
そして、
そこで得たものを今度は
自分流に血肉にしていって
それをまた
次の代に伝承していく、
と言う感じだと思います。
それは薄まるかもしれないけど
絶えてはいない、と言う感じ。
それは
具体的な芸の事かも知れないし、
地域的な事かも知れないし、
気風や姿勢や雰囲気
みたいなものかもしれないし、
価値観とかかも知れない。
色々な要素があるとは
思うんだけど、
そう言うのまで
考えて学ばないと
自分の芸が
確立されていかないし、
次の世代にも伝承するものが
ないような気がするんですよね。
最近は
ちょっと振りを覚えたら
簡単に金取って
ショーやっちゃったり、
周りも
「裾野を広げてるんだから
ドンドンやれば良いんだ」
「生徒は客は呼ぶけど
ギャラを要求しなくて
儲かるから
ドンドンやれば良いんだ」
みたいに言う人も
いるみたいだけど、
芸の血が途絶えたら
何も残らない気が
するんですよね。
無いものは発展の
しようがないもん。
その血のようなものは、
ちゃんと真正面から
取り組んでじっくり
稽古つけてもらったり
対話しないと
得れないと思うんですよね。
それを得る気がない人は
それを後輩に
伝える気もないわけで、
それはすなわち
芸がそこで絶えるって事だと
思うんですよね。
それは
脈々と続いてきた流れが
そこでストップして
終わるって事ですよね。
それは
凄く刹那的だと思います。
だから、
ちゃんとしっかり学ばずに
中途半端なまま
ただ浮かれてショーやって
インスタ映えして
ビール飲む、
なんて事をやるよりも、
じっくりと腰を据えて
一人の先生に長く真剣に
学んだ方が良いと思うし、
それをまた
オリジナルの芸にしていく、
みたいな方が全然面白いと
思うんですよね。
それは芸の世界では
当たり前の基本的な事だし。
だから未熟なうちは
全然舞台に立つのを焦る
必要なんてないと思いますよ。
発表会は別ですけどね。
少なくとも自分が
受け取るものがあった方が
後々応用が効くし
後輩にも何かが残せる。
でも、
そう言うのが無かったら
幾ら騒いだって
後には何にも残らない。
ただ自分だけが
楽しんでお終い。
それは刹那的だな、
と僕は思います。
フラメンコは
あんまり人気はないんだけど、
ただ着飾って
インスタ映えして打ち上げで
ビールを飲むだけ、みたいな
そこまで
つまらないものでも
ないと思うんですよね。
その人達が思ってるよりかは
はるかに全然面白いですよ。
じゃあ、どう面白いのか?
その魅力は
ぜひ先生たちから
教えてもらってください。