フラットな目線

僕らは芸術に

芸術以外のドラマ性を

持ち込みがちなんですよね。

映画とかもそう言う描き方するし。

「作品の裏側にあった感動のドラマ」

みたいな。

ボヘミアンラプソディとかも

そうだけど。


でも、本来は芸術は

芸術だけで考えるべきだと

思うんです。

樋口一葉も女で頑張ってるから

みたいな応援される事を

すごく嫌がってたみたいで、

本来なら男も女もLGBT

右も左も善も悪もない

はずなんですよ。

それこそが純粋に

色眼鏡で見てない

作品の評価になるはずなんです。

樋口一葉にしてみれば

「じゃあ自分が男だったら

作品は読んでもらえないのか?」

と思いますよね。


作品とは別の所を見ると

親近感が湧いたりして

聴いてみようかな?とか

思うのかも知れないし、

普通にアーティストの

エピソードとかみて

共感したりする事は多々

ありますけど、

それはそれ!

って思うんですよね。

それは別腹!

みたいな。

あくまで作品がメインじゃないと

変だと思うんです。

そこで右だから左だからとか

良い人とか一切関係ないし。


食べ物で考えてみたら

幾ら善人が作っても不味い

ラーメン屋なら行かないでしょ?

凄く苦労してきたエピソードとか

聞かされても、

「でも不味いんだよなぁ、、」

ってなるじゃん。

まず上手いもん作れて、

余程やる事がなくて完璧すぎて

暇なんだったらエピソードでも

語れば良いんだと思います。

、、スターウォーズとかも

「エピソード何々」

とか要らないよね笑

ドンドン遡って掘り下げてくやつ。