音の解像度とかクリアさとか
リアリティとか、
鮮明なら鮮明なほど良いと
思ってきたんだけど
結局は生音が最高なんですよね。
そこに近づける為に
各社が開発したり
みんなも良い製品に沢山お金を
使うじゃないですか。
でも、
生と同じ感覚を機械から
得ようとする事自体が
無理なんだと思うんですよね。
そう考えた時に、
今の技術が提示する
「これが最新技術を
駆使した鮮明な音です!」
って言われて
それをいくら押し付けられたって
結局は何かが違うわけで
歪なんだと思うんです。
だったら諦めてしまう、
と言うのも
一つの方向じゃないのかな?
と思うんです。
「完全に明快にクリアなリアルな
音です!」
なんてどうせ無理で嘘なんだから
「モヤっとしてるけど、
後は聞く人の想像に委ねます」
と言うスペースがあっても
良いんじゃないかな?
って思えてきました。
「こっちで徹底して鮮明に
しとくんで、あなたはそれを
ただ与えられて
何も考えずに聴いてください」
って
一方的に押し付けるんじゃなくて、
「これ以上やると想像の余地が
なくなってしまうから、
残りは聞く人が想像力で
補ってください。」
で良い気がするんですよね。
もちろん演奏の
テクニックはしっかりして
明瞭じゃないと
いけないし、
ある程度録音やミックスも
大事なツボはおさえてないと
ダメだとは思うけど、
その先の話です。
押し付けられた鮮明さって
案外疲れる感じがして、
テレビの画像も綺麗になるほど
シワまでみえたりしちゃう
わけでしょ?
それを一体誰が求めてるんだろう?
お互いに苦しくなるだけな気が
してきちゃうんですよね。
ドラクエの登場人物は
3Dですごくリアルである
必要ないでしょ?
やる側で脳内で変換して想像して
楽しむからそんなリアルな技術なんて
要らないじゃないですか。
3Dのドラえもんとか
リアルなドラえもんとか
別にそこを
求めてないじゃないですか。
そうやって
押し付けられたイメージより
自分の想像する
イメージの方が美しかったり
する可能性も
あるわけじゃないですか。
それと似たような感覚の話ですね。